クリニック通信Clinic Letter

6月の診療室だより

 書を趣味とするTさん81歳、毎年6月になると楽しみにしているものがあります。全道展見学です。いつも奥さんと連れ立って毎日のように見て回るのです。期間中ずっと。釣りも趣味の一つで、今の時期はソイやヒラメがねらい目です。釣った魚は勿論全部自分で調理します。奥さんの喜ぶ姿がTさんの喜びです。子供のいない夫婦二人の生活は50年以上続いていました。
 食欲が落ちて来て体重も半分になり、心配になって訪れた病院での診断は末期の膵臓癌でした。70歳そこそこで奥さんはあっけなくTさんの元を離れました。
 こんなに医学が進んだ中で、膵臓癌は取り残されたかのように治療困難例が後を絶ちません。消化器癌の多くは、この10年程の間に70~80%が5年生存を達成しているにも拘らず、膵臓癌は10%台に低迷のままです。手術をしても左程生存率は上がらず、放射線治療も充分な効果がなく、抗癌剤治療もはかばかしくない状態です。決して多くはない膵臓癌ですが、緩和ケア病床に占める割合は増えるばかりの様です。
 昨年3月の奥さんの死去はTさんの生活を激変させました。もともと料理が得意なTさんですが、すっかり食事に興味がなくなりました。賄いものが多くなり、今まではほとんど訪れたことのないコンビニでの調達が主になりました。全道展は間もなく始まろうとしていますが、行くつもりはありません。釣りに行くのも面倒くさいと、いつもは磨き上げて居間に立てかけていた道具は車庫に放置されています。二人で行く東京オリンピックを楽しみにしていましたが、テレビもあまり見ていないTさんにとってすでに興味の外にあるようです。

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