クリニック通信Clinic Letter

11月の診療室だより

手稲山の山麓に夫婦二人で住むKさん達は93歳と89歳、緑豊かなこの地の生活には心から満足しています。尺八の伴奏で歌う“矢切りの渡し”、民謡で鍛えた衰えを知らない朗々としたご主人の声が山に響き渡ります。近所に気兼ねすることなく雄鶏の鳴き声の如き歌声に奥さんが唱和、和やかな朝の時間が流れていきます。

 手稲山から遠く離れて西区に住む息子さん夫婦、某大手メーカーの販売店の店長をする息子さんもそろそろ定年を迎え、家を建て直すことにしました。この期に手稲山に住む老親と同居を考え住居を構えました。孫の一人が結婚して老夫婦の家に住むこととして一挙に懸案事項の解決を図った訳です。

 事後承諾的に手稲山を追われた老夫婦、最初こそ新しい環境を喜んだのも束の間、一か月もすると次第に憂鬱な気分に変わって来ました。今までと異なり、起きざまに大声での矢切りの渡しは近所への気兼ねで歌えなくなりました。息子さんのお嫁さんは優しくて料理も得意、食事も上げ膳据え膳、洗濯も気が付いたら終わっている始末です。手稲山では毎食事のたびに13段もの階段を上り下り、洗濯を干すのもやはり13段の階段です。でもこの労働が浜育ちの老母の生きがいだったのです。 クリニックへの行き帰りも送り迎えつき、いつも帰りに寄っていた“とんでん”へも行けなくなりました。いつも手稲駅で夫婦二人で遊んで帰った日々もなくなりました。心臓の悪い老母のために塩分を控えた食事も、江差の海で採れた鮭を大好物とする母親には不満です。優しい息子夫婦の気遣いと老親の不満と葛藤、すれ違いの生活は、解決のない問題をそのままにして過ぎていきます。

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